【書評】『科学哲学への招待』科学とは何?そんな疑問がスッキリ!読みやすい入門書的な1冊

Book

こんにちは。
最近は通勤中の読書が癒しの時間なsasaki(@sasaki_holiday)です。

「科学って何ですか?」

皆さんこんな風に人に聞かれたらなんて答えますか?

正直、私は考え込んでしまうと思います。

そんな素朴な疑問を「科学史」「科学哲学」「科学社会学」という3つの視点から説明しているのが今回ご紹介する1冊『科学哲学への招待』です。

現代の生活は科学の恩恵によってその大部分が支えられていることは言うまでもないと思います。

しかし、絶対的な普遍の原理と思われる科学も時代背景や社会的な変化によっていくつかの転換期を経験して今日に至っています。

「1+1=2」なんていう初歩的な概念から宇宙開発まで包括する科学という存在。

そんな科学の進歩は同時に哲学の進歩でもあることが本書を読むと理解できます。

一見、難しそうに思えるかもしれませんがいざ読み始めると全くの無知である私でも理解できる内容に引き込まれました。

著者もあとがきで語っていますが、大学などの教科書としても利用されるような想定でこの本を刊行したとのことで、科学というものを学ぶための入門書として最適だと思います。

実際に、私は文系卒で科学という学問には無縁でしたがこの『科学哲学への招待』はかなり楽しみながら最後まで読むことが出来ました。

ぜひ、学生だけでなく大人の教養としておすすめできる1冊です。

「科学=普遍の真理」そんなことは全くないことに驚き!

近代の科学は「実験」という今では当たり前の方法が登場することにより真の意味で科学となりました。

それ以前はいわゆる観察から得た仮説を論理的に説明するという方法がとられていました。

例を挙げると、

夜、空を眺めていると星が移動することに気が付いた人がいました。

彼は地球の周りを星が回っていると仮説たてます。

そしてそれを説明するために天動説を唱えます。

このように、「現象の観測→仮説→仮説を論理的に説明」という手順によって様々な自然現象を解釈していました。

本書にも以下のように説明されている通り、今では誰も信じていない天動説も当時は誰もが疑わない理論でした。

天動説といえば、今日では非科学的理論の代表のように見なされているが、周転円説はいささかも非合理的要素を含んでおらず、その意味で十分に「科学的」な理論であった。

野家啓一.科学哲学への招待(ちくま学芸文庫)(Kindleの位置No.387-388)..Kindle版.から引用

つまり、地球は回っているという当たり前の事実でさえも時代によってその解釈は大きく異なっているのです。

では、実験によって証明された科学的事実は必ずしも正しいのでしょうか?

科学理論や科学法則は永遠に「仮説」の身分にとどまるのであり、それは常に経験的テストによる修正や廃棄の可能性に身をさらしているのである。

野家啓一.科学哲学への招待(ちくま学芸文庫)(Kindleの位置No.1227-1229)..Kindle版.から引用

本書でもこのように語られている通り、仮説は真理にはなり得ず常に反証の対象であるというのです。

個人的にはこの辺の考え方って、Linuxなどのオープンソースのソフトウェアとかに似ているなぁとか思いました。

多くの経験やテストにさらされ続けることでその精度は高まり、より信用できるモノにはなるけど、半永久的に完全なモノにはなり得ないところとか。

そして、こういった考え方ってもはや「科学と哲学」の融合じゃないですか。

いかにして、仮説を証明するか。みたいな。

大学で哲学の授業とか履修すると「神の存在証明」とかやるじゃないですか。

あんな感じ。

もはや、抽象的な概念をどうやって論理的に説明するかみたいな。

ちょっと話がズレましたが、結局この本を読んで感じたことは「科学の正当性を裏付けるには哲学的な考えが必要」ってこと。

科学の発展は言い換えると哲学の発展であった

前項で天動説から地動説への共通認識の変化を述べたように、科学の発展はいわば哲学の発展と強力に結びついています。

様々な自然現象の捉え方が哲学を軸とする科学の変遷を経て現在の近代科学へと推し進められたことが本書では説明されている。

哲学は論理的に物事を説明するという意味では決して科学と対の学問ではなく、むしろ科学的な学問であるともいえる。

そんな科学と哲学のダイナミックな変化が本書では説明されている。

時代と共に仮説を証明、説明する方法は哲学に大きく依存しており哲学の発展なしに科学の発展がなかったことは本書を読み進めていくとよく理解できる。

ある意味で古代の哲学的自然観は一種の有機的な科学であり、近代の科学は機械的な科学であるとも解釈できる。

すなわち、限りなく主観を排除してモノやコトを説明するという姿勢である。

人間の身体的な経験でさえも主観を除いて論証の対象とすることは紛れもなく哲学的な要素を含むと同時に非常に科学的な分野ともいえる。

そんな科学と哲学の移り変わりが現代の科学の基礎となっている。

科学と技術の違い

先程まで紹介していたのは科学であり、技術ではなかった。

しかし現代において科学は一般的に科学技術的な側面を持っている。

産業の発展や科学の軍事的利用が活発になると、科学は技術と強く結びつく。

そのため、西洋においては科学と技術は明確にすみ分けられていた。

西洋においては科学という論理的学問に対して、技術は奴隷労働と結びつく低いものとみなされてきた。

それに対して、日本では鎖国後にすでに科学と技術が結びついた状態で西洋から科学を輸入したため、「科学技術=科学」という概念が強い。

また、江戸時代から職人など技術に偏見のなかった日本の文化的な背景も影響している。

そのため、総合大学で世界で初めて「工学部」が設置されたのは東京帝国大学だったというのは驚き!

一八八六年、総合大学の中に世界で最初に「工学部」を設置したのが、ほかならぬ東京帝国大学であったという事実からも確認できる(参照文献1‐8)。つまり、わが国にはヨーロッパと違って、大学が技術教育を拒否するような伝統は存在せず、むしろ江戸時代から職人技や職人気質に対しては、それを尊重する雰囲気が培われていたのである。

野家啓一.科学哲学への招待(ちくま学芸文庫)(Kindleの位置No.2349-2353)..Kindle版.

『科学哲学への招待』を読んだ感想

はい、というわけで今回は『科学哲学への招待』という本を読んで感じたことなどを書いてみました。

この本は科学というものが現代にいたる過程をとてもやさしく丁寧に書いてあり、私のような初心者でもスッと最後まで読むことができました。

これまでは、ニュートンが万有引力を発見した話とかガリレオのピサの斜塔の実験とかがどうしてあんなに教科書でも重要視されているのが正直理解できませんでした。

だって、物が落ちることを発見したとか、塔の上から物を落として実験するとか別にすごくないじゃんwwwとか思ってました。

しかし、本書を読むとニュートンやガリレオは単に引力を発見したことなどが凄いのではなく、科学を哲学的に大きく近代科学に推し進めたことが凄いのだと理解できました。

世の中の既成概念(哲学)をひっくり返すようなことをしたのだから。

とまぁ、この本は一見小難しそうに見えますがかなり読みやすく、科学の変遷の上で重要な出来事がしっかりと網羅されている印象です。

ぜひ、入門書として読んでみることをオススメします!

以上、ご精読ありがとうございました。

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