【ネタバレ解説】鬱映画「ダンサーインザダーク」を観直したら色々な発見があった
こんにちは。
最近は大好きな映画を全然観ることができていないsasaki(@sasaki_holiday)です。
ラースフォントリアー監督が描く、史上最大規模の鬱映画として大きな話題となった「ダンサーインザダーク」ってみなさんご覧になったことありますか?
私はこの映画が上映したころはまだ毎年のコナン映画を楽しみにしているような少年でした。
まぁ今でもコナンの映画は楽しみに映画館に行っていますが。。。(笑)
私はこの映画を初めて観たのは確か大学生のころだったと思います。
もう、度肝を抜かれました!!
こんなにも、不条理で救いのない話が存在していいのだろうか。。。
そんな風に感じて観終えたあとしばらく憂鬱な気分になったのを覚えています。
しかし、最近コチラの記事でも紹介したようにAmazoneのプライムビデオで手軽に観ることができるようになったので改めて観直してみることにしました。
今回は、「ダンサーインザダーク」という映画を改めて大人になって結婚もした私が観た感想を盛大にネタバレを含みながら書いていこうと思います。
簡単にあらすじ紹介
もう、公開からかなり時間がたっているのでネタバレを大いに含みながらザっとあらすじをご紹介いたします。
主人公はアイスランドの人気歌手「ビョーク」演じるセルマで、彼女は先天性の病気で視力を徐々に失っていく運命にありました。
そんな彼女の生きる希望が息子のジーンでした。
しかし、その息子にも視力を失っていく病気が遺伝していることが判明します。
そんな息子の眼を手術するために自身の視力の喪失を犠牲に工場で必死に働きながら、手術の資金を貯めながら、貧しくも幸せな生活を送っていました。
そんな彼女の人生の歯車が徐々に狂いだしていきます。
息子の手術資金を必死に稼ぐために無理を重ねていると視力の低下が悪化して勤めている工場での作業が困難になりついには工場をクビになってしまいます。
さらに、親切にしてくれていた知人に息子の手術資金を盗まれてしまいます。
その金を返してもらうように知人に迫りもみ合っているうちに拳銃が暴発して、彼を殺してしまいます。
セルマは殺人犯として逮捕されてしまいます。
周囲からは、息子のために貯めていた資金で弁護士を雇って真実を明らかにすることを勧められますが、結局セルマは貯金を息子の手術のために使うことを決断します。
そして、無情にもセルマには死刑が宣告されて刑の執行直前で息子の手術が成功したことを知らされて、人生を終えていく。。。
といったどこまでも救いようがなく不条理な彼女の現実を描いた作品です。
もう、あらすじだけでも胸糞悪すぎて観る気が失せる内容ですよね。。。
この上ないバッドエンドがミュージカルとして描かれる
この映画の特殊で特徴的な演出は「ミュージカル映画」という部分です。
こんな悲惨な物語ですが、主人公のセルマはそのつらい現実の合間に自身が夢見る「ミュージカル女優」になりきって妄想の中でにこやかに歌い踊って、現実から逃避します。
つまり、現実的な辛い描写と妄想の中のミュージカル調の演出が織り交ざっています。
この独特な演出によってセルマの内面部分と現実が表裏一体となって描かれている点が他に類をみないバッドエンドのミュージカルとして成立させています。
正直、ラースフォントリアー監督の作品は毎回世界で物議を醸す内容となっていてこの映画も賛否両論がすさまじいです(笑)
公開当初は、スタンディングオベーションとブーイングが入り混じるというカオスな感じになっていたようです(笑)
しかし、私はいくつか同監督の作品を観ていますが考えさせらる部分も多く、決してブーイングするような気持にはなれなくついついまた観てしまいます。
最悪のバッドエンドがある意味ハッピーエンドに見えてきた
では、改めてこの映画を観直した私の感想です。
もう、驚きでした!!
最初この映画を観たときに感じたあの救いようのない不条理感や憂鬱とした感情は今回観たときには不思議と感じませんでした。
何がそうさせたのかは正直分かりません。
自分にも家族ができたからなのか。。。
社会人になって自分で生活をするようになったからなのか。。。
わかりません。
でも、不思議とこの映画を単なる最悪のバッドエンドで鬱映画として感じることはなくなっていました。
むしろ、セルマ(母)目線ではハッピーエンドにさえ感じてしまいました。
では、そう感じた理由を自分なりに分析していきます。
我が子の幸せを願う母性は時に狂気となる
やっぱり母性とは男には想像もつかない破壊力です。
この作品でよく議論されるのが、
「息子のためを考えるなら、母と息子で貧しくも二人で生きていくことを選ぶべき」
「たとえ、息子がこれから一人で生きていくことになっても命に代えて息子の眼を守るべき」
という、母セルマの選択はどれが正解なのかという部分です。
客観的に考えると、どんなに貧しくても母と子二人で貧しくも幸せに生きていくことが息子にとっての最大の幸せだとは思います。
ただ、私がバッドエンドどころかハッピーエンドとさえ感じたのはあくまで母目線で考えた場合です。
正直、息子目線でこの物語を考えるとこの上ないバッドエンドだと思います。
しかし、この作品にはある意味で母のエゴのような部分も描かれていると思っています。
母が願うことは一見、息子の眼を直して光のある生活を今後も続けて貰うことのように思えます。
しかし、母は少なくともこの病気が遺伝性であり、大きな責任を感じています。
そして死の直前に息子の手術が成功したと聞いて、今までは妄想だった舞台の主役となって歌って踊ることが現実の描写として描かれます。
ただ、大勢の観客の前ではなく死刑を見守る看守の前でしたが。。。
ここで感じるのは、母性という究極の自己犠牲は究極のエゴなんじゃないかということ。
息子の本当の幸せを考えるなら、先述したように自分が生きて息子と二人で生きていくことが本当の幸せだと思います。
しかし、セルマの決断は自分の責任を果たすこと。
つまり、自身の遺伝で視力を失うかもしれない息子の眼を直すことでした。
そして、自身が夢見ていた舞台の主役になったのです。
非常にショッキングなラストの絞首台のシーンですが、その姿は望んでいた形ではないけれど、どこか舞台に立つ女優のような演出になっています。
母が死の直前に自分の夢をかなえたように私には見えました。
これって、息子からしたらたまったもんじゃないですよね?
少なくとも私はそう思います。
ただ、母としてはすべての責任を果たし、究極の自己犠牲を成し遂げた瞬間だったのです。
これは後々調べて分かったのですが、ラースフォントリアー監督自身も母を亡くした際に遺言で父は実の父ではないことを知らされた経緯があることを知りました。
これも息子のためを考えれば、最期まで隠し通すという選択肢もあったと思います。
しかし、母は遺言で自身の責任を果たして、結果的にはその後の息子の精神疾患にも繋がった可能性はあります。
このような背景を考えると、こういった演出の裏に母性という得体のしれないエゴに対しての自身の考えを映画に込めた思いもあるのかなと考えてしまいます。
まとめ
今回は、「ダンサーインザダーク」という映画を改めて観直して私が感じた感想を書いてみました。
この作品は先述したように賛否の多い作品ですが、その分考えさせられることも多い作品です。
正直、私は今回この作品を観て無償の愛と表現される母性というものがわからなくなりました(笑)
まぁ、色々な感じ方があると思うので観たことない方や、もう一回観直したい方はAmazoneプライムビデオで観ることができるので今一度観てみてはいかがでしょうか?
以上、ご精読ありがとうございました。